うちな〜らいふ > 特集 > 春のイベント特集 > 第32回那覇ハーリー
今年もやって参りました。待ちに待ったハーリーの時期。これがないと沖縄の夏は始まりません。
楽しい祭りの前に予備知識を頭に入れて、これまで以上にハーリーを楽しんじゃいましょう。
 

 

ハーリーの起源
 ハーリー(爬竜船競漕)の起源は紀元前343年頃、中国・楚の国に始まったとされています。この頃、屈原という高潔な人物がいました。彼は国王の側近として立派な政治を施し、国民から敬愛されていました。しかし、それをよく思わなかった他の重臣たちに、根拠のない噂を流さたあげく国王にも告げ口され、屈原はとうとう国王から疎外されてしまいます。都落ちをしましたが、国王の世を心配して、何度も国王に忠告したが聞き入れてもらえませんでした。失意の底に沈みながらも屈原は優れた詩を何遍も詠み、最後に「魚腹に葬らるるとも何ぞ俗々の身を以て世の俗塵に染まん」(濁世に生きるよりは魚の腹中に葬られるほうが潔い)と遺書を残し川の淵へ身投げしました。人々は屈原の死を深く悼み、命日には米を詰めた供え物を川へ投げて屈原の慰霊をしました。(これが“ちまき”の始まりで、のちに日本にも伝えられました。)また、この日に爬竜船を浮かべて競漕したことがハーリーの始まりといわれています。琉球でのハーリーは14世紀に中国に留学した学生が現地で見た爬竜船競漕を見て、琉球に伝えたという説と那覇西村出身の長浜大夫という人物が琉球国の使者として中国に行った時に感動して、王府に伝えて始まったという説があります。説は色々あるのですが、その説に思いを巡らせてみるのも面白いのではないでしょうか?
那覇ハーリーの歴史
ハーリーは豊漁と安全祈願を目的とした伝統行事なので、糸満や石垣島など、漁業が盛んな地域でも行われますが、一番規模の大きい那覇ハーリーは泊、那覇、久米の3チームで競漕するのが特徴です。泊は沖縄を、那覇は日本を、久米は中国を表し、昔は泊チームがとても強く他のチームが漕ぎ手を袋だたきにすることもあったとか。那覇ハーリーとはそれほどの真剣勝負で、乗組員も海人を雇ったり地域の屈強な若者を選りすぐったそうです。これに選抜された者は家門の名誉とされ、中でも鐘打ちは美少年から選ばれました。ちなみに、那覇ハーリーは廃藩置県により一旦は禁止され歴史が途絶えますが、本土復帰後、沖縄海洋博覧会に伴い1975年に復活しました。

 

爬龍船
 舟にも違いがあり、那覇ハーリー以外のハーリー舟は漁労用のサバニを使うのですが、那覇ハーリーでは、全長14.55メートル重さは2.5トンという大型の舟を使います。ハーリー競漕のためだけに造られた船です。漕ぎ手は32名、鐘打ち2名、舵取り2名、旗持ち他6名、合計42名が乗り込みます。船体の先には竜頭を、船体の尻には竜尾の彫り物を施し、色とりどりに飾られた船は派手で鮮やか ! 見る人のワクワク感をあおります。
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〜行事予定〜

・5月3日(水) ハーリー競漕(中学生及びPTA一般)
・5月4日(木) 爬竜船一般乗船体験
・5月5日(金) □御願バーリー  □本バーリー □ハーリー一般(職域)競漕 コンサート、打ち上げ花火など